kdjdffdid’s diary

プログラミング, 人生, 投資などの備忘録

東日本大震災の頃の話 part1

実に中途半端なタイミングだが、自分自身の頭の整理も兼ねて、当時の記憶を書き起こすとする。当時は携帯もなく、デジカメはあったが充電手段がなくで画像がないのが悔やまれるが。

ボリュームは未定。オチとかはない。少し記憶違いはあるかもだけど。

当時多賀城市に住んでいたボランティアとかは何もしなかった中学2年生の体験談(と生活記)。

我ながら面白みはないと思うが、読んでくれた人が何か参考になったことがあれば嬉しいな。

2011.3.11その日は上級生の卒業式が終わって友達の家(アパート)で遊んでいた。

ゲーム(当時はモンハン3rdだったか?)ある程度遊んで解散し、近くのブックマーケット(以下ブックマ)に行こうとした。ブックマはゲームショップで新品/中古ゲームや漫画、ラノベとかが売られていた。サブカル系グッズはそこか、ブックスなにわ多賀城店、万代多賀城店に行って買っていた。一人でこっそりいったり、部活仲間とよく行っていた。ブックマでは当時BUMPの宇宙飛行士への手紙がBGMで流れていた記憶がある。

話がそれてしまったが、ブックマに行こうと自転車を走られせてたときに地震が発生。自転車の上からでも走らせながら揺れが伝わってきたこと、通り道の電柱の電線がちぎれていたことからこれは只事ではないなと判断して帰宅することにした。

なお、このブックマは見事に津波に飲まれてそのまま閉店した(少し前の時期に閉店してたかも?)。今はその敷地にはコーナンPROがある。

もしもこの時帰らずにブックマに向かっていたら、もしも地震前にブックマにいたら自分も津波に巻き込まれていただろうか。

(尚、当時遊んだ子には授業再開後に「あっ〇〇君死んだw」というイジりのような煽りのような言葉を貰った(※嫌な思い出じゃ無いよ)。彼元気かな。成人式以降会えてないな)

雪が降ってきた。地震後に雪も重なって寒いという状況。

帰宅後、家の中も色々崩れてた。

玄関の置物は割れて、リビングの棚の食器は割れていた。

自分の部屋も本だなや勉強机の本も崩れていた。

記憶は薄れているが、当時最初に会えたのは父だったはず。父はヤマダ電機多賀城店に3DSを買いに行って戻ったところだったそう。そのヤマダ電機津波に一回飲まれたのでこれも含めて付いていただったのかな?

ある程度家を見たあと食料調達が必要ということでお店を回った。自分は近くのコンビニやヨークを回ったが何もものは変えなかった気がする。記憶にあるのは地震直後は店が閉まっていたが、数時間たったあとに開店し始めたこと、そして今はなきサンクス(今はソフトバンクショップがある)で薄暗い中で人がごった返していたこと。暗くなったあたりで誰かが車のライトでお店の中を照らしてくれていたとか。

菓子パンや非常食として一般的な缶詰とかはすでに売り切れていた。カップ麺とか袋麺、レンジご飯とかはまだあった気がするが、ガスとかどうするか分からなかったので結局買わなかった。気がついたらそれも売り切れてたが。

結局何も買えずに家に戻ったが、家の中は危ないということでその日は車(三菱のディオン)でラジオを聞きながら過ごした。夜に暫くしたら2個上の兄(当時高校1年)が少し遠くのヤマザワで色々買い込んできてくれた。あの時兄が買ってくれなかったらどうしていたか分からない。とても感謝している。

朝になると河北新報が届いた。一面は当然のごとく地震の話題だった。このときはまだ東日本大震災という名称ではなく、関東東北大地震とかだった気がする。

ここから数週間、食料調達と散策を繰り返した。一旦ここまで。